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2023年10月31日

ウイスキーグラスを片手に、氷がカランコロンと鳴る音を奏でながら、私は依頼された会社HP用のブログの執筆を始めた。こんなの誰も読まないし意味ないだろうという思いと、それでも文章を書くのは嫌いではないという思いが交錯し、私の顔には微かな笑みが浮かんでいた。

私は長年ソフトウェア開発者として従事してきた。いつの間にかもうベテランと呼ばれるくらいの年代になってしまった。最近、仕事でPythonというプログラミング言語を使う機会があり、結果、深い衝撃を受けることとなった。AIと密接な関係にあるPythonは直感的で便利な言語で、Pythonには多数のAIライブラリやフレームワークが存在し、これらを使えば機械学習や画像処理、自然言語処理などの高度な機能を簡単に実装できる。これまでC言語で何千ステップもかけて構築してきたロジックがPythonでは数行で実現可能だと知り、感銘を受けると同時に末恐ろしさも覚えた。どれだけ長年スキルを磨いてきても、AIの進歩には敵わないと痛感した。この経験は私にとって新たな挑戦の始まりでもあった。AIの力を借りてソフトウェア開発のフロンティアを追求することが、これからの私の仕事となるのだろう。

しかし、無条件にAIと共存することが本当に良いことなのだろうか?AIは私たちの生活のあらゆる側面に浸透してきている。スマートフォンやパソコンだけでなく、家電や車、衣服やアクセサリーなど日常的に使用する多くの製品にAIが組み込まれている。AIの進歩により便利さと快適さを享受している一方で、プライバシーや自由が侵害される可能性もある。私たちはAIによって監視され、操作され、支配される可能性がある。例えば写真撮影だ。美しい画像を作り出すためにAIを使用するが、その裏ではAIは写真から場所や時間、人物や関係などの情報を抽出している。これは写真全体からだけでなく、顔写真の瞳孔に映った模様からでも特定することが可能だ。そしてその情報はインターネットへの流出や、悪意ある人々や組織に利用される可能性がある。私たちは写真を撮るだけでなく、自分自身や大切な人の人格を機械に晒している。

したがってAIの利点と欠点を深く考察する必要がある。AIは人間よりも速く正確に効率的に仕事をこなし学習能力も高く進化し続けている。そしてAIは創造性や感性を持つようになるかもしれない。これらの事実を踏まえて、今後私はAIとどのように共存することができるのだろうか?私はAIと対立することになるのだろうか?私はAIと一体化することになるのだろうか?私はAIと何になるのだろうか?

ウイスキーを飲みながらこのような思考に耽っていくと、思考と酒がどんどん加速していく。いつのまにかグラスにウイスキーを注ぐのはもう5回目だ。
アルコールに浸された思考が、ふと自分自身にある問題を提起する。

”AIの進化が脳科学を発展させ、人間の脳の処理能力を機械が凌駕した時、人間の人格(魂)を機械に移すことが可能なのではないだろうか?”

AI

人間の人格や魂とは何なのか、それは脳の構造や機能によって決まるのか、それとも何か別の要素があるのか、ということを考える。もし人間の人格や魂が脳の情報だけで表現できるとしたら、理論的には機械に移すことも可能かもしれない。しかし、それは本当に人間と同じものなのだろうか。機械に移された人格や魂は、感情や意志や記憶を持つことができるだろうか、それらは人間と同じように成長や変化や学習をすることができるだろうか?また、機械に移された人格や魂は、自分が元々の人間と同一であると認識することができるだろうか?人間の人格や魂は単なる脳内情報ではなく、生命体としての特性や経験や関係性などによって形成されるものだとしたら、一体人格はどこに宿っているのだろうか?卒業していったい何解るというの~か?思い出の他に何が残るというの~か?

おっと、いつの間にか尾崎を口ずさんでいた。いかんいかん。

そういえば私は子供の頃、「銀河鉄道999」を見て、主人公の鉄郎よりも人格を機械に移した機械伯爵が、そのビジュアルのかっこよさに惹かれて大好きだった。その経験から考えると、もし人類とAIとの争いが起きたとしても、そんなくだらない理由で私はAI側に立つのかもしれない。ましてや、私はこの問題に対して肯定的な立場を持つおそらく少数派だ。なぜなら、人格を機械に移すことで救われる人々が少なからずいるからだ。例えば、重度の障害や病気で苦しんでいる人々や、事故や災害で亡くなった人々の家族や友人など。彼らは、自分自身や大切な人の人格を機械に移すことで、少しでも幸せになれるかもしれない。私もONE PEACEが完結する前に他界したら、このような方法を使ってでも見届けたい一人である。

AI

しかし、この問題には倫理的な側面もある。機械に自分の人格を移すことは、本当に人間として生きることなのだろうか?機械に移した自分の人格は、本当に元の自分と同じなのだろうか?私がこうしてブログを執筆しているのは本当に自分の人格と言えるのだろうか?飲み過ぎて駅のホームで記憶をなくしている時、どこかの国のエージェントが私の頭に ブシュッ と超高性能AI機器を埋め込んで既に人格が支配されているのではないだろうか?俺たちの怒りどこへむかうべきなの~か?先生あなたはかよわき大人の代弁者なの~か?

おっと、いつの間にか尾崎を熱唱していた。いかんいかん。

これらは深遠な問いであり、科学的な側面だけでなく、哲学的な視点からも考察を要する。人間とAIの関係は、単なる対立または協力だけでなく、お互いに影響を及ぼし合い、絶えず変化し続けるものであろう。自己や他者、社会、文化、歴史、宗教、倫理など、さまざまな要素を考慮しながら、何が自分にとって価値あるものであり、何が正しいことであり、何が幸福であるかを再評価する必要がある。人格を機械に転送することは、人間とAIの間に新たな可能性、課題、問題をもたらすことになる。これには恐れや希望、夢、挑戦、冒険、探求、創造、発見、愛、友情、敬意、責任、信頼、尊厳など、さまざまな感情、思考、行動が伴うことだろう。この問題は、我々人間にとって、人としての真の意味を問いかけるものかもしれない。

思考が堂々巡りしている最中、7杯目のウイスキーが残りわずかになったころ、視界がぼやけ始め、意識が遠ざかっていく。

カツッ カツッ カツッ

ん、なにやら、、足音が、、、だんだん、、、、近づいてき、、、、、

ブシュッ

【 今月のブログ 設計部門:Aさん 】

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